ぼくの潰瘍性大腸炎。過去、そしてこれからに向き合うこと。
新年度が始まりましたね。
環境の変化、新しいモノとの遭遇、新しい出会い。
そんなシーズンですね。
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お知り合いならいつもお世話になってます。
勢いでフォローを切ってしまったりした方は本当にごめんなさい。
旧あな子、現Ao( @AnanDoni07 )です。
今回は自分の抱えてる病のことで書きたくなったので書いています。御容赦の程、願います。
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はじめに
今回このような記事を書こうと思ったのは、今置かれているぼくの状況を整理したかったこと。
過去の自分向き合う必要があると強く思ったこと。
そして一人にでも病気を抱えながらも諦めてないよ、ということを伝えたいこと。
そんなところです。
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ぼくが抱えている病、潰瘍性大腸炎
潰瘍性大腸炎。ぼくの抱えている病です。
大学学部3年生の時に発症しました。
世間的には特に安倍晋三元総理大臣が罹っていたことが有名ではないでしょうか。
他にも、
・安達了一さん(野球選手)
・桐生祥秀さん(陸上選手)
・上田春佳さん(競泳選手)
などなど、公表している方もいらっしゃる病です。
罹った学生の時は実は「まあ、なんとかなるかな」と楽観的に思ったものです。
しかし、社会に出て、そして今は強く壁になっていることを痛感しています。それは後に後述します。
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潰瘍性大腸炎の症状、その症状の波
まず、潰瘍性大腸炎の症状ですね。
潰瘍性大腸炎とは
大腸及び小腸の粘膜に慢性の 炎症 または潰瘍をひきおこす原因不明の疾患の総称を 炎症性 腸疾患(Inflammatory Bowel Disease:IBD)といい、狭義にはクローン病と潰瘍性大腸炎に分類されます。
潰瘍性大腸炎は大腸の粘膜(最も内側の層)にびらんや潰瘍ができる大腸の 炎症性疾患 です。特徴的な症状としては、血便を伴うまたは伴わない下痢とよく起こる腹痛です。病変は直腸から連続的に、そして上行性(口側)に広がる性質があり、最大で直腸から結腸全体に拡がります。この病気は病変の拡がりや経過などにより下記のように分類されます。
(難病情報センターより引用。https://www.nanbyou.or.jp/entry/62)
イメージとしては白血球が暴走して腸に炎症を与えていると考えて頂ければと思います。
(腸内検査で自分のを確認したのですが、腫れとか、表現しがたいグロテスクな状態でした)
とはいえ、潰瘍性大腸炎はといっても人によって重さというのは全く異なります。
例えばぼくは中等度と診断されていますが、お手洗いから出られないのは序の口です。
ずっと倦怠感を感じたりだとか、疲れやすいだとか、深夜に目が覚めてしまうことも。
調子が悪いときは重い倦怠感や発熱で一日動けないこともあります。
逆に調子が良いときは普通の食事もいけてしまう程度です。
調子に並がある、ということですね。
見聞ですが、重症になると入院生活が続いてしまう。本当に働くことすらできないということもままあります。
必要によっては大腸全摘出の手術まで必要となる。
それ程までに個人差があるものです。
ただ、ぼく程度の症状では一見普通の人と変わらないように見えるのかなと思います。
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叶えたい願望とその現実
ぼくもこのブログを書き出した最初は精神的にも甘いところが多々ありましたし(過去の記事を読み返すと我ながら黒歴史ノート見ている気分です)、至らないところもまだまだあるわけですが、
(大学院を中退したとはいえ)やっぱり人並みに働いて、人並みの生活を送りたい。そんな気持ちが強くありました。
恥ずかしながら、内心目立ちたがり屋なところもあったので、口も大きくあったこともまだまだ変わりません。
でも、もっとやれる!って前のめりでした。
ところが、現実は厳しいものです。
やはりといいますか、企業で働くにあたって企業側としても、健康な人を求めるのはごく自然なことです。
だからこそ、病を持っているだけで敬遠されることがままにあります。
……となると、ぼくの病含め、難病を持っている人で言い出せない方は多いと思います。
しかし、実際隠して働いても上述のとおり、調子に波があります。
なので、身体に自由が聞かず、やむ負えなく当日休みなど、会社にとって悪印象を持たれてしまうこともままあります。
言ってしまえば、社会人生活というものがまともに送れない。
故に、難病でGoogleで検索かけるとサジェストで出てきます。
難病 人生終わった と。
実際、2020年には潰瘍性大腸炎に患った高校生が拳銃で自死をしてしまったのは痛ましく覚えています。
病が直接の原因かまでは謎のままとはありますが……
そんなぼくも壁にぶつかる度に「この病さえなければな」と思うこと、沢山ありましたし、
性格にもクセが強すぎることも相まって、普通に生きるのを諦めました、なんて後ろ向きな記事も書いたななんて。
ついでに言ってしまうと、突発的にお腹に激痛が走り、恥ずかしながらお手洗いに間に合わないことも慣れました。
同じように、オムツで出勤して笑われることにも慣れました。
怠けているだとか、そういった言葉もかけられたことも多くあります。これも慣れました。
何故この言葉を掛けられるのかというのは、やっぱり先も述べたとおり、
「一見健康な人と変わりない様に見えるから」なんですよね。
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その現実から過去を見つめること。そして、打開するためにできること。
しかしながら、そんなことがあってもそれでも今を生きています。
その状況からまだまだもがいて、時に休んで。
改めて自分を見つめてみる。
まずぼく自身の以前について。
こう自分で書いた内容を振り返ると、どこか他責にしたいという気持ちがあったのだと思っています。
というか、実際そうであったのだと自覚しています。
潰瘍性大腸炎という事実に向き合いたくなかったのかもしれません。不幸アピールしたかったのかなもしれませんね。今もそうかもしれません。
潰瘍性大腸炎についても。
おおよそ1000人に1人程度が罹る病です。そんなマイノリティに置かれている以上、
只でさえ今を生きることが大変なのに、余計負荷がかかるのは明らかです。
正直言ってしまえば、それこそ全て諦めて放り投げてしまいたいと思うことも多々ありましたし、これからもあると思います。
だけど、色々書いてても悩んでも、最終的に誰が自分の責任を取るのか?と考えた時。
結局、ぼく自身に帰結するんだなって。
ぼくの代わりはぼくにしかいません。なら自分の人生は自分で切り開かないとなりませんね。
ならば、どうすればいいのかは。
ぼく自身を受け入れること。自分自身を信じてあげること。
どんな逆境にあっても諦めないこと。
そして、
同じように病で悩む方に一つの人生として参考にしてほしいこと。
これに尽きます。だからこそ一日を大切に過ごしたい、どう転んでもです。
ぼくも諦めが悪い人間です。本当の意味で人生が終わるまで、可能な限り前を向いて生きていきたい。
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ぼくの病との経験から学んで欲しいこと
どのご時世であってもそうだとは思いますが、様々な要因もあって人それぞれ悩みがあると思います。
その中で、もしぼくのように治療が確立されていない病に見舞われたら。重い病だとしたら。
その悩みからさらに身体の制約が加わります。タチが悪いのは、なりたくなくてもなってしまう病なんですよね。
もしなってしまったのであれば、より将来が不安になったり、はたまた絶望してしまうことも増えると思います。
だけど、それで人生終わった……と思っても意外と続いてしまうものです。
というより、終わったと思っても、残酷なまでに人生って終わらないですからね。
何より、別の生き方があるという選択も見えてくるからです。
生き方、考え方一つで景色は変わってくると思います。
それが所謂社会のレールから外れたものだとしても。
なので、安心してとは言いきれませんが、もしなってもどうにかなるのは覚えていて欲しいです。
かつてぼくがある時、潰瘍性大腸炎であると告げたとき、年配の方に、
「あなたは今その病にかかってしまったのは事実。だけど、それが人より10年、あるいは20年早く罹っただけ。その分、長い目で見れば優しくなれる」
と言われたのをずっと覚えています。
これからも大事にしないといけないですね。
そして、時たまに「自分は罹らないだろう」と思い込み、心ない言葉を浴びせる方も稀にいらっしゃいます。それが職場でも、ネットでも。
言ってる方も、個々でトラブルに見舞われてしまい、ストレスの捌け口として言ってしまわれる方もいるのかな、と思います。
自分のことを棚に上げてしまいますが、ぼくもストレスでそういうことをしてしまっているかもしれません。
ただ、ぼくたちだってやっぱりなりたくてなった病ではありません。
その負のエネルギーは、別の方向に生かせることにも覚えて欲しいです。
というのも、ぼくも今のままが続いた結果、社会的な地位などでも大きく遅れている自覚があります。
だけど、その中でどう挽回すべきか。それがたとえわずかな可能性、天文学的な確率だったとしても、そのままでいるよりはずっと良いと信じているからです。
人間、腐るのが一番まずいことだと「あくまで」ぼくは考えていますし、それがぼくの信念でもあります。
だから、何もないと思ったら、まずは考え方から軸を持ってみてもいいかななんて思えます。
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おわりに
今回はあくまでぼくの病について書いたのですが、
よりお辛い病をお持ちになっている方もいらっしゃいます。
それこそクローン病は潰瘍性大腸炎と近く、より辛いものだと思います。
そうであっても、あくまで"国指定の難病"を持つものとして、勇気に繋がれればと思っています。
……気が付けばぼくも随分遠回りなことしてきたなって。
ただ、ぼくがなんだかんだこうしてまだ前を向いていられるのは、
支えてくれる友人や家族がいてのことだと強く思っています。
改めて、ここに感謝の辞を述べさせて頂きます。
本当に最後に。ここまでの長文・駄文を読んでいただき、ありがとうございました。
拝啓 以前のぼくへ
まずはじめに。
この場所に記事を書こうとするのは久しぶりなことです。
ほんのちょっとだけ。
前回の記事から2年半位ですね。
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お知り合いならいつもお世話になってます。
勢いでフォローを切ってしまったりした方は本当にごめんなさい。
旧あな子、現Ao( @AnanDoni07 )です。
雑記です。今回は過去の自分へ向けた話です。
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以前のぼくへ。エンジニアから離れたよ。
今は所々諸々あってエンジニアから離れて、海外との顧客折衝的なものをしています。しかも全く関東とは違うところで。エンジニアにずっと拘り続けてましたけど、意外に適性があるようです。
エンジニアから離れた理由としては、
・エンジニアに必要な体力が足りなかったから(後述の潰瘍性大腸炎による)
・たまたま語学の素養があったから
これだけだったりします。気がついたら海外とのミーティングばかりやってる。
今のモチベーションはともかく人生何が起こるかわからないものですね。
だから視野を狭くしないでね。
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以前のぼくへ。プログラミング云々、進捗ないよ。
有言不実行極まりないよ!ってツッコんでいい。
これに関しては言い訳ができないですし、恥ずかしい。やっぱり口だけなの直ってない……
ただ、ちょっとだけその時に学んだことが業務改善に繋がってます。専ら使ってるのはExcelVBAとAssessですけど……
それでも過去の経験は少しでも役に立ってます。ありがとう、昔のぼく。何事も経験かも。
・以前のぼくへ。持病で相変わらず悩んでいるよ。
一番苦しんでるのは相変わらず、潰瘍性大腸炎。
お手洗いに間に合わなかったりするのは変わってません。疲れやすいし、足も斑みたいなのできてます。なんだこの国指定の病。
改めて病気と向き合いながら働くのって大変だと痛感します。
だけど、苦しんでるからこそ同じ病や病気に苦しんでる人を勇気付けたいって、思えたりします。
だから何でもいいから生きる理由、見つけてね。
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そして未来のぼくへ、何をしていますか?
過去にやってしまった取り返しのつかないこと、やるやると言ってやらなかったこと、人に嫌な思いをさせてしまったこと。
これらは誰かの記憶に残っていると思います。
だから、ぼくはそのことに対して、なるべく目を逸らさずに向き合う努力''は''しています。
逆に、人にしてあげて良かったこと、良くしてくれてる方を大切にすること、その事実に感謝すること。
そして、逆境でも諦めないこと。
このことに対しても継続する努力"も"しています。
5年後のぼくは何をしていますか?はたまた10年後はどうなってるかなって気になります。
だから、その時のぼくが笑顔でいられるよう、一日一成に努めます。
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ここまで読んで頂いてくれた貴方へ
ぼくはこれまで、お世辞にも"普通の人"とはかけ離れた人生を送って来たと思っています。性格にクセがありすぎるのも。
だから、順調な人生を歩んでいる貴方には順調に歩んで欲しいと思うと同時に、
もし何かあったとしても意外となんとかなる。そのことを心の片隅にでも置いて頂ければと思います。
逆に、今が辛いな、という貴方に、ぼくが好きな言葉を送ります。
The night is long that never finds the day
開けない夜はない、ですね。
その為にも、これはどちらにも言えることですが、自分を信じてあげてください。
久しぶりに長文を書きましたが、ここまで読んで頂きありがとうございました。
それでは。
久々に書いたらHTML忘れたのは内緒です
今回の転職活動を通して感じたこと。
こんにちは。はじめましてという方ははじめまして。
お知り合いならいつもお世話になってます。
勢いでフォローを切ってしまったりした方は本当にごめんなさい。
あな子( 現:@AnanDoni07 )です。
前回身体を壊して普通の生き方を諦めたと言ったのにしぶとく転職活動し、ひと段落がついたのでその感想を残します。
もちろん若干フェイクあります!
- 合同面接で受けた衝撃
まずこの面接は落ちちゃったんですが、実は人生で初めて合同面接を受けました。
そこで感じたのは、皆必死だったということ。
僕より年上の方もそうですが、年下の方もこのコロナという関係で止む負えず離職した方が殆どでした。
何より辛かったのが、面接後少々会話してた僕と同じくらいの年齢でしょうか。
・妻子持ち(しかも最近子供を授かったばかり)
・コロナで解雇を余儀なくされる
・僕よりも前に離職して探し続けてるという事実
自分から話かけたとは言え、正直自分自身の覚悟の甘さを知りました。
僕自身は(身体壊したとは言え)元は自己実現の為の離職でしたから。
家族を養っている方の本気というのは今まで感じたことのない。次元が違います。
当たり前の話です。そんな当たり前のことに気づけなかった僕自身に喝です。
- 短期や日雇いバイトですらも・・・・・・
身体を壊してしばらくした後、心の調子も崩れました(今も不安になる時があります)。
それでもお金は必要だと、短期バイトや日雇いバイトは登録したり、面接に行ったりしました。
それでも殆ど落ちました。
年齢等も絡んでそうなのでしょうが、とにかく落ちます。
逆に言えばそれだけ一時凌ぎでも生活で大変な人が多いのでしょう。
これも僕自身の認識の甘さが出てますね。
この辺りから「自己実現」はかなり妥協することにしました。
- 転職活動がひと段落ついて
そんな中、なんだかんだで内々定を一つ頂きました。
しかも、志望度が高かった職種です。
正直肌で今の時世を知った身としては幸運でしかありません。
今回の活動を通して、認識が随分変わったと思います。
皆生き残るのに必死なんだと。
繰り返しですが、自分自身の甘さに喝を入れたいです。
- 今、僕が伝えられること
辛かったら、親しい人に相談、悩みを打ち解けた方がいいです。
自業自得とはいえ、就職難を実感した身としては、この状況を一人で抱えるのは無理だと感じました。
仕事を今続けてられる状況の方は、酷い環境でなければ、まだ続けた方が良いというのが個人の見解です。それほど今の環境の辛さを思い知りました。
就職氷河期など、振り返ればあったのは事実ですが、今は通信技術が発達しています。
もし離職等で行き詰ってしまった、退職を考えてる等の親しい人がいたら。LINEでもなんでも、手を差し伸べてください。
それだけでも、きっと本人の気持ちはきっと変わったものになると思います。
親しい人との繋がりは大事です。
- 最後に
今回一連の行動に関して、アカウント再建したりして非常に迷惑をかけてしまったと感じています。
本当に申し訳ない次第です。トラブルも多々起こしてしまいましたし・・・・・・
それでも、支えてくださった方には感謝しかないです。
僕自身も何かしらで恩返しできたらな、と思いますが、中々できてないのが現実ですが・・・・・・
本当にありがとうございます。
後は今後の認識ですね。散々述べた通り、僕自身認識が甘いところがありました。
改めた上で、今後どう生き残るか、分析しなければなりませんね。
本題としてはここまで。
- おまけ
題目とは違った内容になりますが。
僕自身潰瘍性大腸炎に患っていますので、IBDの会のスタッフ登録をしました。
潰瘍性大腸炎と言えば、最近安倍元首相が患っていた病気ですね。
あまり政治には触れたくないので止めときますが、僕の見解です。
主観としての潰瘍性大腸炎ですが、例えるなら「ドラクエの呪われた装備」です。ランダムで動けない時みたいな。それと同じで、突然腹部に激痛、最悪間に合わない等、精神的に来るものがあります。重度だと入院や腸摘出等もあります #潰瘍性大腸炎
— ANaN#UC (@AnanDoni07) 2020年10月4日
本当にこんな感じです。
これ、かなりメンタル削られます。
今後としては自分も含め、何かできたらな、と考えています。
もう一方で、ダンシング★おにぎりという元Flashの音楽ゲームがあるのですが、現在まで難航してましたが、こちらも進めていきます。
有言してて「結局やってねーじゃねーか!!」の状態ですから・・・・・・正直恥ずかしい限りです。
思い入れの強いゲームですから、何かしらの形で携わりたいです。
C#を独学で勉強してましたが、結構これが関係しています。
まずWeb系の復習からやらないとですね。無理しない程度に頑張ります。
さて、最後までお読み頂き、ありがとうございました。
早くこの事態が収まりますように。そう願っています。
「普通」に生きることを諦めまして。
そもそも普通の生き方って何だろう?っていうのは置いといて。
こんにちは。はじめましてという方ははじめまして。
お知り合いならいつもお世話になってます。
勢いでフォローを切ってしまったりした方は本当にごめんなさい。
あな子( @Inasaki_0726 )です。
世の中新型ウィルスなりで大変。そんな中の投稿となります。
前回の記事から1年経つんですね。初回からは2年も!
さて、そんな僕ですが、ようやく腰を据えて働ける……と思ったら身体壊したので、今回の記事を書いてます。
長文なので時間があるときにメシウマ(マズ?)話をどうぞ。
書き忘れてましたが若干フェイクあります!
○前回の記事で退職後、入社した会社も……
さて、前回の記事の後なんだかんだで就職しました。
エージェント使ってですね。相性が良かったので託しつつ決まりました。
……が。
ぶっちゃけインサイダー取引やってました。その会社。
それはまずいだろう!と当時の変な正義感。遠回しに言ったら口封じか、退職勧奨されました(ちなみに断ったら解雇という、最悪の状態です)。
ちなみに誕生日の翌日くらいに受けたので最高の誕生日プレゼントですね!ふざけんなーっ!
流石に労働基準監督署に駆け込みましたが、駄目でした。
仕方ない、弁護士に……と試しに相談したらなんと既に先客が!
それで察して諦めました。斡旋も駄目でしょうと。
まあ、そもそも労働基準監督署も激務なんですよね。多分?いや、間違いなく。
実際、父親は国Ⅲ(今なら国家公務員三種なのかな?)でしたが、深夜まで帰ってこないとかザラでしたし。
なので正直公務員叩きってとどうなんだろうな、って思ってます(まあ、不正した人の処分が軽いのとかは酷いとは思いますけどね)。
余談ですがこの出来事、エージェントの方に伝えたら物凄く謝罪されたのを覚えています。
○独学で学んで諦めず就職!しかし……
その後、当たり前ですが恐ろしい期間の短さで退職に至ったので、滅茶苦茶再就職に苦戦しました。
経歴が経歴なので書類お祈りは当たり前!数なんて忘れたくらい!
ただ、その最中、少しずつPythonを独学してました。その成果を見せて、ようやく内定ゲット!
離職率を直接聞いても悪くない。挑戦的な社風とのこと。ようやく腰を据えて働けると信じてました。
しかし、世の中は残酷なのかな。入ったのはCOBOL一本の会社でした……ナンデ!?こんな話、上から聞いてない!アイエエエ!?
……突然の忍殺語はさておきCOBOLって調べて頂ければわかりますが、所謂レガシーです。
最近、基本情報技術者試験でPythonと入れ替わった言語ですね!
使ってる現場の環境なんて御察し!当然、実際の退職者は多かったです。
下の意見なんて一切通らない、言うものなら追い詰められる体育会系そのもの!
※(8/22)お詫び:念のためいうとそうでない所も当然あります。
原文残したままお詫びします。
一応僕も体育会系部活(バリバリ野球部とかにいました)出身でしたが、それにしても恐ろしい!
でもでもでもでも、もうこれ以上退職続けるわけにもいきません。やっぱり経歴ボロボロだし。歯を食い縛ってプロジェクトに。
感想を言えば開発自体は凄く楽しかったです。perform文優秀だぁ……って。
後は僕の携わってできたプロジェクトの成果物が今回ってると思うと嬉しいですよね。
やはり問題は人間関係でした。これが全て運の尽き。
まず、上司の責任逃れが当たり前でした。責任全部押し付けられた時は、流石に裏で財布ぶん投げました(やっちゃ駄目だよ!)。
後は直属の先輩、正直失礼承知ですが、仕事をしないので尻拭いするのが苦痛でした……
それだけなら良いんですが、とにかく先輩風吹かせてるのが一番でしたね。
流石に一度注意したのですが、まさかの「社長に言いつけてやる!」と発狂されて手が付けられず(ここで折れたのはまずかったな、って今更思います)。
更に悪いことに、僕にミスが生じるとこれ見たことかのように罵倒メールとか、はたまた直接とか。二人から。
ちなみに上司は先輩に恐ろしく甘かったです。女性だからかな。
もし、真面目な人ならセクハラとか考えてたのでしょうが、先輩はよりにもよってそれでマウント取ってきて。
我慢、我慢、我慢でしたが、次第に身体に症状がでてきました。蕁麻疹、胃炎、謎の痣。
それでついに先日ですね、ストレスで倒れました。
意識飛んで、目覚めたら救急車の中でびっくり!理由は細かには言えませんが、重病に至る一歩手前とのこと。
過去に潰瘍性大腸炎患ってます(軽度なので勤務に問題ない)が、これ以上増えるのは……
そう考えたとき、ここで限界だと気づきました。
そして現在に至ります。休ませてくれるだけ凄く温情でした(役員の方は優しかったです。凄く感謝しています)。
こんな状態なので、流石に退職決意しました。身体は資本です。
残念ながら部署異動も叶いませんでしたし。
こんな中でも僕を可愛がってくれた方もいたので、本当に申し訳ない限りです。
ただ、丁度プロジェクトも節目。残りでどうにか引き継ぎ書を作ります。
最低限、できることはやります。僕なりの礼儀です。
ここまでが僕の現状です。
一応擁護すると、先輩はともかく、上司は家族がいたので、立場のために精一杯だったのでしょう。
先輩に関しても、殺伐とした状況ならそういう立ち回りになっても仕方ないかなとちょっと思います。
個人的な感情は別ですけどね。
○僕のことから学んで欲しいこと
・大学でた位の年齢人にCOBOLは……
僕の同期や近くに入った人には20前半の方がいました。
僕みたいに後がなかった人間以外は正直、やめた方がいいと思います。
言うまでもなく今後のスキルの問題です。身体壊して今回辞めましたが、それとは別で、正直COBOLに関しては将来性が。
というのもCOBOLの現状で検索すればわかるかなと。需要があまりに局所的です。
だったら、僕個人の考えですが、それこそ先に触れたPython、後はC#とか、先のある言語を学んだ方が良いです。
ぶっちゃけ退職理由は身体壊したのもありますが、言語問題もあります(できれば最低限現場経験の年数積んでから退職が理想でした)。
PythonはAIで注目されてたりますし、C#とかはUnity(ゲームで特に有名ですね!)のスクリプトで使われたり。後はjavascriptとかはIoT(Internet of Things)とかで使われてたり。
やはりそういった情報収集は大事です。
勿論続けるのは自由ですが、それでも複数使えた方が良いです。実務は勿論、独学も大事です!
・残業が少ないorない=自分にとって良い企業ではない
僕がいた企業では残業が少なく、少なくても悪い企業ではなかったかなと。
精々ちょっと(人回りで)運が悪かっただけと考えています。後雰囲気ですかね。
よく優良企業として残業が少ないとか挙げられますが、当然、それだけがパラメータだけではありません。
というか僕自身、研究室時代は平気で寝泊りとかやってたので残業に関しては抵抗がありませんでした。
しかしながら、僕は致命的に人間関係が苦手です。振り返れば、中学も、高校も、大学の部活も、その後も……
全て人間関係で苦しみました。
前々から趣味で勉強してたひとつ、ちょっと16-Parsonalities(検索かければすぐ出ます)に触れますが、僕はどの試験受けてもINFJ型でした。
>INFJの嫌なこと、ストレスとその対処
>自分のこだわりや利益を優先し、周囲の人間に対して礼儀や思いやりがなく、 方針を吟味することなく行動しようとする人間に対しては困惑させらせます。
>充分に考える時間を与えられないと不満を感じるでしょう。
ということで、絶望的に出世競争とか、人間関係のトラブルが苦手です。
そういう意味だと日本社会で適応するには苦しい性格であると自覚しています。
自分には何が得意で、何が苦手か……そういう物は早めに自覚した方が良いですね!
その上で納得ができる就職ライフを。
8/22追記:ただ、自分の明らかに性格面でまずい部分は正すよう努めましょう!(僕自身も今何がまずかったか見つめ直して改善、実施してます……)
あ、言うまでもなく明確に違法なことをやってる企業はダメ!絶対!(後ハラスメントなどが蔓延してるのも)
○これからどうするか
さて、もうこんなボロボロの経歴になってしまったので、正直、一般的に言われている日本の普通の生き方は諦めました。
普通ってなんだろう?とは思いますが、まあ、高校や大学、院を出て就職してそこでずっと働いてというのが一般的でしょうか。
その辺りは迷惑かけない程度に生きていこうと考えています。世間体は後回しです。
後、明確にやりたいことができたのでそれについて独学を進めていきます。
(規模がでかすぎるので恥ずかしくて書けないです。ごめんなさい)
さて、ちょっと宣伝になってしまうのですが。
アークナイツというソーシャルゲームがあり、ハーフアニバーサリーがありました。
【本日生放送】
— アークナイツ公式 (@ArknightsStaff) 2020年7月22日
「ドクター、ハーフアニバーサリーですよ。」スペシャルは19時配信!
抽選で1名様に限定色紙2種をプレゼント!
▼応募条件
本アカウントをフォロー、番組終了までに本ツイートをRT
▼視聴ページhttps://t.co/8lEIIS0XHUhttps://t.co/H9cEyomVIb#アークナイツ
この放送内で出てきたアーミヤ3D
これを担当したのがフォロー・フォロワーの関係である、めろにうむさん( @Melonium_ )が担当していて、凄く感銘を受けました。
生放送「ドクター、ハーフアニバーサリーですよ。」スペシャルの最新情報にて、アーミヤのシステム周り、物理演算を担当しました!https://t.co/PjKY3FsgRs#アークナイツ#明日方舟
— 🍈Melonium🍈 (@Melonium_) 2020年7月22日
(本人から許可を頂いています。本当にありがとうございます)
本当に努力のたまものです。凄いです!
(事実、めろにうむさんは言葉では表現できないくらい努力していましたから)
それと同時に、僕も負けてられないと感じました。
だからこそ、僕も目標をもって、それを叶えるために邁進して行きます。
だからこそ、所謂「普通」に生きるのを諦めて、自分を信じたことをやって生きて行きます。
○最後に
この記事を書くに至るまで多くTwitterで悩んで、現状を呟いていました。
その中で、励ましてくれた友人の方々、フォロワーの方々には本当に感謝してもしきれないです。
命は一つしかないです。会社や世の中の大半は残念ながら守ってくれません。
これからは終身雇用崩壊だの言われていますし、自己防衛が大事だと本当に思います。
その中で僕は、僕を大切にしていただいてる方を、同じように大切にする。これからできることする。それだけです。
だからこそ、「迷惑をかけずに」が前提になりますね!
繰り返しとなりますが、本当に感謝しかないです。ありがとうございます。
さて、この様な長駄文を読んでくださり、ありがとうございました。
くれぐれも、僕みたいに身体に異変出たらすぐ逃げてくださいね!
遅くなったら復帰に時間かかりますから。
それでは。
後ベーシックインカムください!!!!!!!!
追記:
正直、その、自分で定義した「普通」ってできるのは僕個人としては凄く難しいと思うんですよね。よく言われる、「ごく当たり前が難しい」といわれてるのと同じで。
その点、そういうことができる人っていうのはこれもまた凄いことだと思うので、継続してほしいです!
僕の退職までと退職後の心理変化
こんにちは。はじめましてという方ははじめまして。
お知り合いならいつもお世話になってます。
勢いでフォローを切ってしまったりした方は本当にごめんなさい。
3回目の記事となります。
あな子( @Inasaki_0726 )です。
今回は退職から退職後(今の状態)の心理変化について述べてみようと思いました。
例によって例のごとく走り書きで書いています。
読みにくいとは思いますが、ご了承頂ければなと思います。
※度々となりますがフェイクを混ぜています。ご了承下さい。
・退職を受け入れた直後
◯いつか見返してやる!
やはり前回の記事に書いた通り、受け入れた直後は非常にモチベーションが高かったです。
丁度情報技術者試験が近かったので、特に力を入れて対策を行いました。
情報技術関連の知識は今後やっていく上でも必要なので、ここまでは非常に良かったかなと振り返っています(結果待ちです)。
○作成したプログラムのメンテナンス
前の会社に思い残しがないように作成したプログラムのメンテナンスを行いました。
バグが発生したら会社の都合上、中々見てくれる人がいない現状だった為です。
今も元気に役に立っていたらなあ……って思ってます。
・退職する事の重み
◯情報技術者試験後
最初こそは強がっていたものの、退職日が近づくにつれて感情面で非常に不安定になっていきました。
まず最初に「落ち込み」が続く状態になりました。
具体的には「なんであの時○○しなかったのだろう」「もっと勉強していれば」って感じですね。
次に「怒り」が生じました。
これは前回の記事のパワハラ上司に向いていました。
「あの上司さえいなければ先輩も失踪しなかった」「こうなることの元を辿ればあの上司だった」
正直「他責」に向いていました。非常に恥ずかしい話ですね。
そして、「焦り」に変わっていきました。
「今後どうしようか」「このままだとまずい」
焦りは禁物と言いますが、まさにその通りだと思います。実際に退職後にも響いています。
・退職後
◯手がつかない自習
はい。はっきり言って論外だと思ってます(エンジニアとしては致命的ですね)。
家族と話したりすることでストレスは少しずつ緩和されていったものの、
自習に関しては「全く」と言っていいほど手がつきませんでした。
在職中にはできていたにも関わらずにです。
ここで再度、「焦り」が生じました。
「今やらないと今後絶対響く」「時間があるのになんでやらないんだ」
これが逆効果となり、その時間を無駄に過ごしていって。
「自分への失望」へ変わりました。
「これじゃあ(様々な意味で)自分は駄目だ」「今後やっていけない」
と言ったように、とにかくネガティブな方向に流れていきました。
今でこそ時間を経て回復し、少しずつ自習も再開しております。
しかし、残念ながらこの感情は少し残っており、正直な所、不安要素だったりします。
・転機
○転職エージェント
退職決定直後にヤケクソで登録した転職エージェントから連絡があり、実際に面談を行いました。
またまた恥ずかしい事なのですが、すっかり忘れていた事です。
エージェントの方は非常に丁寧に対応してくれました。
今までのこと、どうして退職に至ったかのこと、これからどうするかの相談。
仕事に対して前向きに慣れたのは久しぶりな気がしました。
そこで、ようやく転職活動をしようと決心できました。GW終了直後の事です。
……正直滅茶苦茶遅いですね(反省)。
○現在
先も述べた通りようやく回復し、自習を少しずつではありますが行うようになりました。
転職活動については現在順調とまではいきませんが、それでも面接まで行けたりと非常にありがたい限りです。
だからこそ、なんとしてでも立ち直って見返してやる!って気持ちで行動しています。
・僕の経験から伝えたいこと
◯可能であれば在職中に転職活動を
僕自身は在職中に転職活動してない(ほぼリストラに近い形だったので猶予がそこまでなかった)ので個人的な意見となりますが、
できれば在職中に転職活動を行った上で退職がいいかな、と感じています。
というのも、やはり「無職」は精神的にまいる所があります。
金銭面での不安、社会的不安、それを踏まえた将来の不安など、常に付きまとうのが正直な所です。
個人的にはこれらが一番しんどいな、って思うところですし、今も感じています。
ただ、本当にブラックな企業であった場合は先に退職して良いと思います。
これはブラック研究室での経験からです(古い)。
○退職を促されたりリストラされる覚悟
最近凄い偉い人が「終身雇用は無理」って言ってましたね。
ですので、やはりいつ「その機会」が来るか、誰もが覚悟しといた方が良いと思っています。
他人事として見てると僕みたいになります!
……そして、そのストレスは膨大なものです。
実際に「解雇される事」は「パートナーとの死別」「離婚」よりもストレス負荷が掛かると聞きました。
ですので、いつそうなっても良いように、例えば、
「スキル習得に努める」「自分の能力を棚卸しする」
といった事は有効かな、と思います(所詮アラサーの浅知恵ですけどね)。
・後書き、謝辞
正直、今こういう経験をして良かった、と今は振り返っています。
実際に「リストラされた夫が××する」っていうのもわかる気がしました。
「自分で辞める」のと「辞めさせられる」の、後者の方が圧倒的に辛かったですから。
さて、この一ヶ月の間に様々な方に迷惑をかけてしまったと思っています。
その中でも手を差しのべてくれた家族や友人、フォロワー様、エージェントの方には頭が上がらないです。ありがとうございます。
そして、この記事が誰かの参考になって頂けたらな、なんて思っています。
僕は経験で学ぶという、残念なタイプです!はい!(すみません)
最後に、いつものように。長いこの記事を読んで頂き、ありがとうございました。
某IT会社から退職勧告されまして。
こんにちは。はじめましてという方ははじめまして。
お知り合いならいつもお世話になってます。
勢いでフォローを切ってしまったりした方は本当にごめんなさい。
2回目の記事となります。
あな子( @Inasaki_0726 )です。
今回は会社から退職勧告を受けたので書こうと思った次第です。大学院中退に続き、またしてもやらかしました。ごめんなさい。
社会って想像よりも遥かに厳しいものでしたね!ってことです。
滅茶苦茶走り書きで書いていますので、読みにくいとは思いますが、ご了承頂ければなと思います。
※当たり前ですがフェイクを混ぜています。ご了承下さい。
・大学院退学後、何をしてたか
◯無謀にもIT業界へ
前回の記事では大学院の中退に関して書いていました。その後、何をしていたかと言うと。
はい。無謀にもIT業界に突撃しました。
内定先としては重電系と、IT系の二つがありました。出身の関係で中々専攻を生かした所にはたどり着けなかったです。
そして、最終的にITにした理由。兄も弟もIT業界だったんですね。で、そこで切磋琢磨できたらなあ、と。
それで、兄と内定先が、「何処」と取引してるか、を確認した上で入社を決めました。
勿論この時点ではプログラミングなんて未経験でした。動機も含めて、この時点で甘ちゃんですね(反省)。
当然、「取り返すためにも院の時ばりに勉強しないとなあ」と覚悟を決めて、情報系の知識と、あるプログラミング言語の初歩の初歩を入れた上で入社しました。
今も勉強は継続してやってます。この業界、新しいこと多いなあって思いながら。
勿論、プログラミング言語(何かは伏せます)もですよ!楽しいですし!
・退職勧告に至るまで
◯配属先の上司のパワハラ、先輩の失踪
研修も苦戦しながらやり終えまして、さていよいよ!と行ったところでした。
二度あることは三度あるではないですが、配属先の上司が残念ながらパワハラ上等の方でした。
僕に対しては仕事を一切与えない、所謂「過小の要求」がとにかく大きかったです。OJTも何もありませんでした。
更に何もできなかったので仕方なく何か役に立てないか、とプログラムを組んでたのですが、「お前には早い」と禁止されました(それでもこっそりやってましたが)。
結局、本当にやったことは紙に穴を開ける作業だけでした。なので、自虐を込めて穴開けパンチエンジニアを自称してます(悲しいけど)。
更に酷かったのは、先輩に対しての態度でした。露骨に暴言吐いたりされてて心が痛かったです。
そして、ある日先輩が文字通り「失踪」しました。
以前にも同じ上司のもとで失踪者が出ており、このことは流石に問題となりました。
結果として上司は厳罰に処分され、僕もその都合で異動となりました。
・退職勧告へ
◯事務の手伝い
さて、異動した僕なんですが事務の手伝いをしていました。
プログラムを組む人として事務屋の手伝いとは何事だ!って言われたのは覚えています。
しかしながら、折角、前の所でプログラムを(こっそり)やっていたので、業務の手間を省けるようなものを作ってました。
結果としてちゃんと動いて。事務の方に凄く喜ばれて。やっと役に立てたな、って嬉しかったです。
○久しぶりの言語。新しい上司の要求に応えられず……
さて、そんな中で別の方がやっていたプログラムがあったので、途中でその引き継ぎを行いました。
しかしながら、今まで離れていた、研修でほんの少しやった言語。
復習しながら、そして四苦八苦しながらも行っていましたが、新しい上司は言いました。
「穴子くんさ、この言語何も理解してないよね。研修で何を学んできたの?」
僕は言葉下手な自覚がありますが、それでも学んだことを述べました。
しかし、「言い訳をしている」と一蹴されてしまいました。
ただ、上司を擁護すると、上司自身は尋常ではなく仕事ができ、いわば「エースであり、かつ役員」でした。僕から見れば目標としていた人でした。故に、と言うわけではないですが、何も言い返せませんでした。言い訳なのは事実ですから。
翌日、その事を会議で吊し上げにされ、その都度何も言えませんでした。これも最早完全に能力不足です。
それを見かねた当の上司は「流石に今の状態だと問題がある」と会議。
結果としては要約すると、「今すぐ辞めるか、来月まで勉強してから解雇予告されるか」でした。
そして、今、辞めようと心に決め、書いています。これ以上、何のために会社にいるのかわからなくなっていますからね。只でさえ給料泥棒なのですから。
・僕のちょっとした呟き
◯ここまで知っている人ならわかる通り
僕が入ったところは、結局やっていることは客先常駐、所謂SESでした。
その上司はその中で自ら受諾開発ができるくらい優秀でした。
そして、SESは散々言われていますが、「人を流すことで成り立っている」業種です。
ですから、僕のように自社待機しかない人は真っ先に切られます。
逆に、穴開けパンチをしているだけでも外にいれば儲かってしまうんです。
実際、様々な意見が飛び交うこの業種ですが、僕自身能力がないこと。そこに警戒せずに踏み込んでしまったこと。
そのことから、僕自身はこれ以上は何も言えませんし、語る資格はないと考えています。
ただ、自分の能力や適正を踏まえ、情報を集めることは有益です。
その上で進路の選択を誤らないようにして欲しいのが願いです。
・今後どうするのか
当たり前ですが、没頭のようにプログラミング言語の勉強、特に事務の方に喜んでくれた言語、上司に指摘された言語の勉強は行っていきます。片方はやられたままでは悔しいですしね。
後、やっぱりと言いますか、要求に応えられたとき、感謝されたときのことはずっと忘れられません。それだけでもプログラミングに触れて良かったなって思っています。
その為、やはりそういったところに就ければな、と考えています。
ただ、実際にうまく再就職ができるかどうかは………正直わかりません。
それでも、また挫けず這い上がれれば、と考えています。かつてそうだったように。
後書き、謝辞
この件に関して話したとき、励ましの言葉や労いの言葉を友人や兄弟から受けとりました。
本当に感謝の言葉しかないです。
ありがとうございます。
会社に関しても、僕の味方をしてくれた方、多くいました。その方々がいなければ、遅かれ早かれではありますが、当の前に脱落していたと思います。ありがたい限りです。
そして、前の記事にも書いたように、一人でも僕の二の舞にならないよう祈っております。
特に失敗を生かせていないところとかですね!
最後に、走り書きとなった。長いこの記事を読んで頂き、ありがとうございました。
僕の大学院中退。
こんにちは。はじめましてという方ははじめまして。
お知り合いならいつもお世話になってます。
勢いでフォローを切ってしまったりした方は本当にごめんなさい。
あな子( @Inasaki_0726 )です。
今回、某所に無事内定し、大学院中退が決定的になったので書き起こしました。
僕は企業での研究を行い、それがきっかけで博士課程を志望し、他大学から進学しました(正直、天狗になっていた面もありました。猛省)。
その末の決断であり、その思いを下手なりにここへ残します。
※極一部フェイクを混ぜています。ご了承下さい。
・大学院休学に至るまで
◯先輩と指導教員から受けた悪態
ぶっちゃると「いじめ」にあってました。今となって思えることですけどね(笑…えない)
・実験器具のマニュアルがなかったので、簡易マニュアルを作成したところ「こんなのいらん。頭で覚えろ!」と怒号
・先輩が明らかに間違えてても「俺の言うとおりにしろ!」という怒号
・イベントの際の露骨な仲間外れ(当の先輩主導の際)
・深夜12時過ぎでの長時間に渡る叱咤
・先輩と指導教員のタッグで研究に必要な情報を隠蔽、解決するや長時間叱咤
・一対一での場で人格、趣味を完全否定
などなど、一部ですがこんなところです。
今更ですが、インパクトがあったのは「パチンコ趣味を棚にあげて音ゲー趣味を完全否定」でした(パチンコが趣味な方、ごめんなさい)。
上記のようなこともあり心が折れ、無気力でしたが、親しい先輩のアドバイスや同期のフォローもあり、研究室の異動を申し入れました。
しかし、研究室のボスがそれを良しとせず。言われたのは以下のものでした。
「ここでやっていけないなら、他でもやっていけない」
これはたまらないと、こちらもカウンセリングまで駆け寄り、相談の場を設けました。
しかし、指導教員は「反省してます」と棒読みでだんまり。ボスは指導教員を庇う一方。結局進展無し。
そして、翌日。指導教員は「ニヤニヤ」しながら「残念だったねぇ」と。
結局、研究室異動も失敗。その晩「ある」未遂まで至り、このままではまずいと思い逃亡。
それからは研究室には行ってませんし、「強引」に休学しました。
※この休学は、親しい先輩や同期のフォローがあってのものです。本当に感謝しております。
・大学院退学の決意まで
◯自分自身の反省点
やはり、先輩や指導教員との交流がうまく取れていなかったから……と今も考えることがあります。
研究室の調査も怠っていたことも(別研究室の友人からは怖い印象だったそうです)。
実際「ブラック研究室」って噂立ってた程ですからね(有機溶剤をドラフトなしで実験してたことも……)。
自分自身も甘い面があった。それは戒めなければならないです。
◯数ヵ月の無気力、自暴自棄
さて、大学院を休み初めてから数ヵ月は、最早無気力、自尊心も崩壊状態でした。
事実として、当時のツイッターの内容は相当病んでいたものであります。
過去のログを振り帰れば自分自身「うわぁ……」ってなることがあります。
正直あまり見たくない程です。
更に休んでる間、自分に対する嫌悪感も凄かったです。「ああすれば良かったんじゃないか」とか。今更ですけどね。
しかし、以下のようなこともあり、回復に向かうことができました。
◯友人の支え
僕がここまで回復できたのは、間違いなく友人の存在であります。
高校時代の友人とも飲みに行きましたし、お互いの現状を吐きあったりしました。
特に長い間付き合いのある友人が、長い非正規職を経て正社員になれたなど、吉報も聞くことができました。
大学の友人とも会いに行きました。
今のアカウントで相互の、同じ学科の友人がいるのですが、内定を得たようで、自分のことかのように嬉しかったです。
修論も無事に書き上げて。本当に嬉しいです。自分ができなかったからこそ、そう思えます。
◯アルバイトを復帰して、当時から続いていたマネージャーさんやパートさんからの一言
体調が上向きになった頃、学部時代お世話になっていたアルバイト先、接客業に再び、少しずつではありますが勤めました。
正直に状況を伝えました。でも、マネージャーさんはこう応えてくれました。
「よく戻ってきたね、嬉しい」
「また、声だし番長(声出しだけは得意でした)の復活だね」
パートさんからも、
「人生は長いんだから。大丈夫。アルバイトにも真剣に取り組めるあな子さんなら」
散々研究室で人格否定をされ続けたので、外部からのこの言葉には嬉しさしかありませんでした。
この経験から、自分は研究室でやっていけなかったけど、他でもやっていけない訳ではなかった。なら、別の所でまた頑張ればいい、と。
そう考えることができるようになりました。
◯退学の決意へ
これらのこともあり、僕は退学を決意しました。(この記事を作成中に)無事に内定も取れましたし。
勿論、研究に対する未練はあります。しかしながら、このままでは何も進展しません。何も変化しません。
だったら、自分から別の道に踏み出そう。一つの人生の舵取りとして。
「合わない環境は寿命を縮めるのです」
最近の有名な作品の言葉ですが、本当にその通りなのだと思います。
勿論、苦しい道になるとは思いますが、「人生なんとかなる」。そう思って今後の活動を行っていきたいと考えております。
・大学院を退学するということ
◯依然、既卒は厳しいけれども
大学院中退することというのは、やはり多くの方が言うとおり、「新卒」カードを失うことでもあります(僕の場合は自業自得な面もあります)。
けど一年たった今としては、上の通りどうにかなるものだと考えることができます。
よく「レール社会」なんて言われます。これから外れる勇気さえあればどうにでもなります。
(ただ、できることなら卒業はした方が良いと思います。やっぱり社会的信用なども踏まえてですね……!)
◯ピンチでもあり、チャンスでもある
このような状況は、ある意味でもピンチであり、チャンスであると考えています。
何もアクションを起こさなければピンチなのですが、行動を起こすことでチャンスに変えることができると。
実際休学初期の頃の自分は何も行動を起こせませんでした。だからこそ自分を追い込んでいったのだと思います。
しかし、アクション、僕の場合はアルバイトなどですね。これを起こしたことで様々な出会いがあり、研究室とはまた違ったものを学ぶことができました。
追い込まれたら、ゆっくりでいいので、回復してから行動すると変わってくると僕は思います。
・僕の経験から知って欲しいこと
◯ハラスメント、特に「モラル・ハラスメント」の脅威
モラル・ハラスメントというのはよく夫婦間で取り上げられたりしますので、以下の記事を参照して頂けると幸いです。
しかし、これは夫婦間のみに限らず、研究室や、恐らく、会社内でも起こりえることです。
そして恐ろしいのは、まわりに理解されがたいことから、本人が追い詰められてしまうことです。
そして、逆に自分もやっている、やっていたかもしれない。また、自分もひょっとしたらやられているのかも、という意味でも一読しておくことをお勧めしたいです。
……自分への戒めとしても。
◯「本当に」親しい友人との繋がりの重要性
僕が荒れてるときでも、「真正面から」ぶつかって、「真っ正面から」支えてくれた友人の大切さを改めて実感しました。
友人と思ってた人に現状を冷たくあしらわれたこともあって尚更です。
喧嘩してもいいんです。喧嘩して関係が切れればそれまでの関係ですから。だからこそ、それでも向き合える友人は大切です。
なので、もしそのような友人がいるのでしたら、大切にして欲しいです。お互いの助けとなりますし、貴重なものですから。
そして僕としては、これからもその友人を大切にしたいです。本当に。
◯例え全く関連のない研究内容でも、楽しめる可能性がある。とにかく指導教員との相性が大事
元々を辿っていけば、僕がその研究分野に進んだのら「本来やりたかった研究」ではなかったものです。
しかし、学部時代はそれに楽しみを見出し、結果として大学院に進みました。
しかしながら、大学院ではその分野が嫌になりました。
人間関係というものは、非常に重要だと考えております。僕のように凡人であるなら、尚更のことです(勿論、そのことを気にせず突き進められる方もいます。そういった方は素晴らしいです)。
もしやりたい研究でなくても、何かがきっかけで好きになれたりするものです。その土台となる、指導教員との相性は重要です。
その為にも、研究室の調査は厳密に行うことをお勧めします。その辺りの話は「ブラック研究室」で調べれば把握しやすいと思います。
是非、これから理系に進学する方、もしくは理系に所属している方には知って欲しいです。
後書き、謝辞
学部時代、散々迷惑を掛けてしまった企業の方々には、今になっては頭が上がらない程です。
あの時の指導があってからこそ、今の自分があると考えております。
そして、一人でも僕の二の舞にならないよう祈っております。
最後に、この記事を書くに辺り、てりたま( @T_ritama )様の記事 私が休学を決めるまで - Tritamaブログ は大きな動機に繋がりました。
完全に病んでる状態だった当時、それでも変わりなく接してくれた友人、同期、親しかった先輩。そしてフォロワー様。
感謝してもしきれない程です。
そして。長いこの記事を読んで頂き、ありがとうございました。