ここにも穴がありまして。

思ったことをつらつらと。大学院中退、短期間に離職繰り返した、潰瘍性大腸炎持ちです。

某IT会社から退職勧告されまして。

こんにちは。はじめましてという方ははじめまして。
お知り合いならいつもお世話になってます。
勢いでフォローを切ってしまったりした方は本当にごめんなさい。
2回目の記事となります。
あな子( @Inasaki_0726 )です。

今回は会社から退職勧告を受けたので書こうと思った次第です。大学院中退に続き、またしてもやらかしました。ごめんなさい。
社会って想像よりも遥かに厳しいものでしたね!ってことです。
滅茶苦茶走り書きで書いていますので、読みにくいとは思いますが、ご了承頂ければなと思います。

※当たり前ですがフェイクを混ぜています。ご了承下さい。

・大学院退学後、何をしてたか

◯無謀にもIT業界へ
前回の記事では大学院の中退に関して書いていました。その後、何をしていたかと言うと。

はい。無謀にもIT業界に突撃しました。
内定先としては重電系と、IT系の二つがありました。出身の関係で中々専攻を生かした所にはたどり着けなかったです。

そして、最終的にITにした理由。兄も弟もIT業界だったんですね。で、そこで切磋琢磨できたらなあ、と。
それで、兄と内定先が、「何処」と取引してるか、を確認した上で入社を決めました。

勿論この時点ではプログラミングなんて未経験でした。動機も含めて、この時点で甘ちゃんですね(反省)。

当然、「取り返すためにも院の時ばりに勉強しないとなあ」と覚悟を決めて、情報系の知識と、あるプログラミング言語の初歩の初歩を入れた上で入社しました。

今も勉強は継続してやってます。この業界、新しいこと多いなあって思いながら。
勿論、プログラミング言語(何かは伏せます)もですよ!楽しいですし!

・退職勧告に至るまで

◯配属先の上司のパワハラ、先輩の失踪
研修も苦戦しながらやり終えまして、さていよいよ!と行ったところでした。
二度あることは三度あるではないですが、配属先の上司が残念ながらパワハラ上等の方でした。

僕に対しては仕事を一切与えない、所謂「過小の要求」がとにかく大きかったです。OJTも何もありませんでした。

更に何もできなかったので仕方なく何か役に立てないか、とプログラムを組んでたのですが、「お前には早い」と禁止されました(それでもこっそりやってましたが)。

結局、本当にやったことは紙に穴を開ける作業だけでした。なので、自虐を込めて穴開けパンチエンジニアを自称してます(悲しいけど)。

更に酷かったのは、先輩に対しての態度でした。露骨に暴言吐いたりされてて心が痛かったです。

そして、ある日先輩が文字通り「失踪」しました。
以前にも同じ上司のもとで失踪者が出ており、このことは流石に問題となりました。

結果として上司は厳罰に処分され、僕もその都合で異動となりました。

・退職勧告へ

◯事務の手伝い
さて、異動した僕なんですが事務の手伝いをしていました。
プログラムを組む人として事務屋の手伝いとは何事だ!って言われたのは覚えています。
しかしながら、折角、前の所でプログラムを(こっそり)やっていたので、業務の手間を省けるようなものを作ってました。
結果としてちゃんと動いて。事務の方に凄く喜ばれて。やっと役に立てたな、って嬉しかったです。

○久しぶりの言語。新しい上司の要求に応えられず……
さて、そんな中で別の方がやっていたプログラムがあったので、途中でその引き継ぎを行いました。
しかしながら、今まで離れていた、研修でほんの少しやった言語。
復習しながら、そして四苦八苦しながらも行っていましたが、新しい上司は言いました。
穴子くんさ、この言語何も理解してないよね。研修で何を学んできたの?」
僕は言葉下手な自覚がありますが、それでも学んだことを述べました。
しかし、「言い訳をしている」と一蹴されてしまいました。

ただ、上司を擁護すると、上司自身は尋常ではなく仕事ができ、いわば「エースであり、かつ役員」でした。僕から見れば目標としていた人でした。故に、と言うわけではないですが、何も言い返せませんでした。言い訳なのは事実ですから。

翌日、その事を会議で吊し上げにされ、その都度何も言えませんでした。これも最早完全に能力不足です。

それを見かねた当の上司は「流石に今の状態だと問題がある」と会議。
結果としては要約すると、「今すぐ辞めるか、来月まで勉強してから解雇予告されるか」でした。

そして、今、辞めようと心に決め、書いています。これ以上、何のために会社にいるのかわからなくなっていますからね。只でさえ給料泥棒なのですから。

・僕のちょっとした呟き

◯ここまで知っている人ならわかる通り
僕が入ったところは、結局やっていることは客先常駐、所謂SESでした。
その上司はその中で自ら受諾開発ができるくらい優秀でした。
そして、SESは散々言われていますが、「人を流すことで成り立っている」業種です。
ですから、僕のように自社待機しかない人は真っ先に切られます。

逆に、穴開けパンチをしているだけでも外にいれば儲かってしまうんです。
実際、様々な意見が飛び交うこの業種ですが、僕自身能力がないこと。そこに警戒せずに踏み込んでしまったこと。
そのことから、僕自身はこれ以上は何も言えませんし、語る資格はないと考えています。

ただ、自分の能力や適正を踏まえ、情報を集めることは有益です。
その上で進路の選択を誤らないようにして欲しいのが願いです。

・今後どうするのか

当たり前ですが、没頭のようにプログラミング言語の勉強、特に事務の方に喜んでくれた言語、上司に指摘された言語の勉強は行っていきます。片方はやられたままでは悔しいですしね。

後、やっぱりと言いますか、要求に応えられたとき、感謝されたときのことはずっと忘れられません。それだけでもプログラミングに触れて良かったなって思っています。
その為、やはりそういったところに就ければな、と考えています。

ただ、実際にうまく再就職ができるかどうかは………正直わかりません。
それでも、また挫けず這い上がれれば、と考えています。かつてそうだったように。

後書き、謝辞

この件に関して話したとき、励ましの言葉や労いの言葉を友人や兄弟から受けとりました。
本当に感謝の言葉しかないです。
ありがとうございます。

会社に関しても、僕の味方をしてくれた方、多くいました。その方々がいなければ、遅かれ早かれではありますが、当の前に脱落していたと思います。ありがたい限りです。

そして、前の記事にも書いたように、一人でも僕の二の舞にならないよう祈っております。
特に失敗を生かせていないところとかですね!


最後に、走り書きとなった。長いこの記事を読んで頂き、ありがとうございました。