ぼくの潰瘍性大腸炎。過去、そしてこれからに向き合うこと。
新年度が始まりましたね。
環境の変化、新しいモノとの遭遇、新しい出会い。
そんなシーズンですね。
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お知り合いならいつもお世話になってます。
勢いでフォローを切ってしまったりした方は本当にごめんなさい。
旧あな子、現Ao( @AnanDoni07 )です。
今回は自分の抱えてる病のことで書きたくなったので書いています。御容赦の程、願います。
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はじめに
今回このような記事を書こうと思ったのは、今置かれているぼくの状況を整理したかったこと。
過去の自分向き合う必要があると強く思ったこと。
そして一人にでも病気を抱えながらも諦めてないよ、ということを伝えたいこと。
そんなところです。
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ぼくが抱えている病、潰瘍性大腸炎
潰瘍性大腸炎。ぼくの抱えている病です。
大学学部3年生の時に発症しました。
世間的には特に安倍晋三元総理大臣が罹っていたことが有名ではないでしょうか。
他にも、
・安達了一さん(野球選手)
・桐生祥秀さん(陸上選手)
・上田春佳さん(競泳選手)
などなど、公表している方もいらっしゃる病です。
罹った学生の時は実は「まあ、なんとかなるかな」と楽観的に思ったものです。
しかし、社会に出て、そして今は強く壁になっていることを痛感しています。それは後に後述します。
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潰瘍性大腸炎の症状、その症状の波
まず、潰瘍性大腸炎の症状ですね。
潰瘍性大腸炎とは
大腸及び小腸の粘膜に慢性の 炎症 または潰瘍をひきおこす原因不明の疾患の総称を 炎症性 腸疾患(Inflammatory Bowel Disease:IBD)といい、狭義にはクローン病と潰瘍性大腸炎に分類されます。
潰瘍性大腸炎は大腸の粘膜(最も内側の層)にびらんや潰瘍ができる大腸の 炎症性疾患 です。特徴的な症状としては、血便を伴うまたは伴わない下痢とよく起こる腹痛です。病変は直腸から連続的に、そして上行性(口側)に広がる性質があり、最大で直腸から結腸全体に拡がります。この病気は病変の拡がりや経過などにより下記のように分類されます。
(難病情報センターより引用。https://www.nanbyou.or.jp/entry/62)
イメージとしては白血球が暴走して腸に炎症を与えていると考えて頂ければと思います。
(腸内検査で自分のを確認したのですが、腫れとか、表現しがたいグロテスクな状態でした)
とはいえ、潰瘍性大腸炎はといっても人によって重さというのは全く異なります。
例えばぼくは中等度と診断されていますが、お手洗いから出られないのは序の口です。
ずっと倦怠感を感じたりだとか、疲れやすいだとか、深夜に目が覚めてしまうことも。
調子が悪いときは重い倦怠感や発熱で一日動けないこともあります。
逆に調子が良いときは普通の食事もいけてしまう程度です。
調子に並がある、ということですね。
見聞ですが、重症になると入院生活が続いてしまう。本当に働くことすらできないということもままあります。
必要によっては大腸全摘出の手術まで必要となる。
それ程までに個人差があるものです。
ただ、ぼく程度の症状では一見普通の人と変わらないように見えるのかなと思います。
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叶えたい願望とその現実
ぼくもこのブログを書き出した最初は精神的にも甘いところが多々ありましたし(過去の記事を読み返すと我ながら黒歴史ノート見ている気分です)、至らないところもまだまだあるわけですが、
(大学院を中退したとはいえ)やっぱり人並みに働いて、人並みの生活を送りたい。そんな気持ちが強くありました。
恥ずかしながら、内心目立ちたがり屋なところもあったので、口も大きくあったこともまだまだ変わりません。
でも、もっとやれる!って前のめりでした。
ところが、現実は厳しいものです。
やはりといいますか、企業で働くにあたって企業側としても、健康な人を求めるのはごく自然なことです。
だからこそ、病を持っているだけで敬遠されることがままにあります。
……となると、ぼくの病含め、難病を持っている人で言い出せない方は多いと思います。
しかし、実際隠して働いても上述のとおり、調子に波があります。
なので、身体に自由が聞かず、やむ負えなく当日休みなど、会社にとって悪印象を持たれてしまうこともままあります。
言ってしまえば、社会人生活というものがまともに送れない。
故に、難病でGoogleで検索かけるとサジェストで出てきます。
難病 人生終わった と。
実際、2020年には潰瘍性大腸炎に患った高校生が拳銃で自死をしてしまったのは痛ましく覚えています。
病が直接の原因かまでは謎のままとはありますが……
そんなぼくも壁にぶつかる度に「この病さえなければな」と思うこと、沢山ありましたし、
性格にもクセが強すぎることも相まって、普通に生きるのを諦めました、なんて後ろ向きな記事も書いたななんて。
ついでに言ってしまうと、突発的にお腹に激痛が走り、恥ずかしながらお手洗いに間に合わないことも慣れました。
同じように、オムツで出勤して笑われることにも慣れました。
怠けているだとか、そういった言葉もかけられたことも多くあります。これも慣れました。
何故この言葉を掛けられるのかというのは、やっぱり先も述べたとおり、
「一見健康な人と変わりない様に見えるから」なんですよね。
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その現実から過去を見つめること。そして、打開するためにできること。
しかしながら、そんなことがあってもそれでも今を生きています。
その状況からまだまだもがいて、時に休んで。
改めて自分を見つめてみる。
まずぼく自身の以前について。
こう自分で書いた内容を振り返ると、どこか他責にしたいという気持ちがあったのだと思っています。
というか、実際そうであったのだと自覚しています。
潰瘍性大腸炎という事実に向き合いたくなかったのかもしれません。不幸アピールしたかったのかなもしれませんね。今もそうかもしれません。
潰瘍性大腸炎についても。
おおよそ1000人に1人程度が罹る病です。そんなマイノリティに置かれている以上、
只でさえ今を生きることが大変なのに、余計負荷がかかるのは明らかです。
正直言ってしまえば、それこそ全て諦めて放り投げてしまいたいと思うことも多々ありましたし、これからもあると思います。
だけど、色々書いてても悩んでも、最終的に誰が自分の責任を取るのか?と考えた時。
結局、ぼく自身に帰結するんだなって。
ぼくの代わりはぼくにしかいません。なら自分の人生は自分で切り開かないとなりませんね。
ならば、どうすればいいのかは。
ぼく自身を受け入れること。自分自身を信じてあげること。
どんな逆境にあっても諦めないこと。
そして、
同じように病で悩む方に一つの人生として参考にしてほしいこと。
これに尽きます。だからこそ一日を大切に過ごしたい、どう転んでもです。
ぼくも諦めが悪い人間です。本当の意味で人生が終わるまで、可能な限り前を向いて生きていきたい。
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ぼくの病との経験から学んで欲しいこと
どのご時世であってもそうだとは思いますが、様々な要因もあって人それぞれ悩みがあると思います。
その中で、もしぼくのように治療が確立されていない病に見舞われたら。重い病だとしたら。
その悩みからさらに身体の制約が加わります。タチが悪いのは、なりたくなくてもなってしまう病なんですよね。
もしなってしまったのであれば、より将来が不安になったり、はたまた絶望してしまうことも増えると思います。
だけど、それで人生終わった……と思っても意外と続いてしまうものです。
というより、終わったと思っても、残酷なまでに人生って終わらないですからね。
何より、別の生き方があるという選択も見えてくるからです。
生き方、考え方一つで景色は変わってくると思います。
それが所謂社会のレールから外れたものだとしても。
なので、安心してとは言いきれませんが、もしなってもどうにかなるのは覚えていて欲しいです。
かつてぼくがある時、潰瘍性大腸炎であると告げたとき、年配の方に、
「あなたは今その病にかかってしまったのは事実。だけど、それが人より10年、あるいは20年早く罹っただけ。その分、長い目で見れば優しくなれる」
と言われたのをずっと覚えています。
これからも大事にしないといけないですね。
そして、時たまに「自分は罹らないだろう」と思い込み、心ない言葉を浴びせる方も稀にいらっしゃいます。それが職場でも、ネットでも。
言ってる方も、個々でトラブルに見舞われてしまい、ストレスの捌け口として言ってしまわれる方もいるのかな、と思います。
自分のことを棚に上げてしまいますが、ぼくもストレスでそういうことをしてしまっているかもしれません。
ただ、ぼくたちだってやっぱりなりたくてなった病ではありません。
その負のエネルギーは、別の方向に生かせることにも覚えて欲しいです。
というのも、ぼくも今のままが続いた結果、社会的な地位などでも大きく遅れている自覚があります。
だけど、その中でどう挽回すべきか。それがたとえわずかな可能性、天文学的な確率だったとしても、そのままでいるよりはずっと良いと信じているからです。
人間、腐るのが一番まずいことだと「あくまで」ぼくは考えていますし、それがぼくの信念でもあります。
だから、何もないと思ったら、まずは考え方から軸を持ってみてもいいかななんて思えます。
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おわりに
今回はあくまでぼくの病について書いたのですが、
よりお辛い病をお持ちになっている方もいらっしゃいます。
それこそクローン病は潰瘍性大腸炎と近く、より辛いものだと思います。
そうであっても、あくまで"国指定の難病"を持つものとして、勇気に繋がれればと思っています。
……気が付けばぼくも随分遠回りなことしてきたなって。
ただ、ぼくがなんだかんだこうしてまだ前を向いていられるのは、
支えてくれる友人や家族がいてのことだと強く思っています。
改めて、ここに感謝の辞を述べさせて頂きます。
本当に最後に。ここまでの長文・駄文を読んでいただき、ありがとうございました。